2024.09.04
NHK連続テレビ小説「虎に翼」のモデルとなった女性判事 三淵嘉子さんの思い出
また、裁判官、公証人の時に相続や遺言の関係の書籍の編集や論文の執筆をしたり、新任の公証人に対して、遺言についての講義をしたり、早稲田大学や茨城県の生涯学習センターで「相続・遺言・成年後見と公正証書」と題した連続講座の講師もしたりしておりました。公証人としての経験は10年弱でしたが、最近の公証人の仕事としては遺言、任意後見契約、離婚給付契約等の公正証書の作成が多く、私自身も、年間平均100件前後で、これまでに1,000件ほどの遺言を作成してきました。
公証役場には、弁護士等各士業の方や信託銀行等を通して申し込みをされる場合と本人が直接遺言の作成の嘱託に来られる場合とがありますが、相談ということで来所された方には、いろいろと事情をお聞きした上で、相続制度や遺留分の権利とか、遺産分割をする場合と遺留分減殺請求をされる場合とではどのような違いがあるかということなども説明して、相談者が最も適切な方法が選択できるように助言をしていました。相談の結果、公正証書遺言をすることになった場合でも、遺言者の希望やその後に予想される紛争の形態なども考え、付言事項を加えて遺言者の気持ちが遺言の中に表れるようにするなど遺言者にとって適切な遺言となるように色々と工夫をしてきました。
これからは弁護士として、これまでの経験を生かして、特に相続・遺言・後見などの問題についてご相談者・ご依頼者のお役に立ちたいと思っております。
相続関係のセミナーの講師や編著書多数。
2024年4月から放送中の連続テレビ小説「虎に翼」。
日本史上初の女性弁護士として法曹界に飛び込み、のちに裁判官になった一人の女性の実話に基づくオリジナルストーリーです。 当事務所では、本作品の第16週より、法律実務指導を担当しています。
この法律実務監修に携わる、元裁判官で当事務所の弁護士でもある雨宮則夫は、このドラマの主人公のモデルとなった三淵嘉子さんと、実際にお仕事をご一緒し、薫陶を受けた一人でした。 本コラムでは、その当時の三淵さんとの思い出をご紹介します。
三淵嘉子さんの思い出
虎ノ門法律経済事務所 弁護士(元裁判官)雨宮 則夫
三淵嘉子さんの写真(引用元:Wikipedia)
NHKの朝の連続ドラマ「虎に翼」の主人公「佐田寅子」のモデルとなった三淵嘉子さんは、日本初の女性弁護士、初の女性判事、初の家庭裁判所長であり、家庭裁判所の母と言われる人でした。1973年11月から1978年1月まで、浦和家庭裁判所長をされており、その間に、私は浦和家庭裁判所熊谷支部に4年目の判事補として配属されました。
当時、裁判官会議や管内の関係機関との協議会、研究会、旅行会、懇親会などのいろいろな機会を通じて、三淵さんから折に触れ、家庭裁判所の魂とでもいうべきものを教えられました。
三淵さんは、当時60代前半でしたが、快活で回りをパッと明るくする人で、懇親会ではお酒も底なしという人でした。当時、地方裁判所の所長で、毒舌で有名だった矢口洪一さんとのやり取りも面白く、また当時は裁判官の間では麻雀も盛んだったので、懇親会の後、所長官舎で麻雀をすることも多かったのですが、麻雀も滅法強かったです。
少年事件というのは、4年目の末特例の裁判官(裁判官は任官して5年目までは未特例判事補として、一人で裁判をすることはなく、三人の裁判官で合議して審理する裁判に陪席として関与する)にとっては、初めて一人で担当できる事件です。成人の刑事事件とは異なり、犯した犯罪に対する処罰ではなく、非行を犯した少年の健全育成を目的とするものであって、そのためには、なぜその少年が非行に至ったのかを、その生育史をたどり、生育環境を調査して、その非行の原因となっているものを取り除いて、少年自身がそれに気づいて自ら立ち直ることを援助するのが家庭裁判所の役割なのです。
そしてそのために、家庭裁判所には、地方裁判所にはない家庭裁判所調査官や医務室技官という制度が備えられ、さらに民間の社会資源も利用するために補導委託先を開拓し、「少年友の会」という裁判所の調停委員や元調査官、元裁判官などで構成される家庭裁判所の応援団も必要とされるのです。
私は、そうした家庭裁判所のあり方、育て方を三淵さんに教わりました。後に私が宮崎家庭裁判所延岡支部に赴任したときには、三淵さんの教えを生かして、宮崎家庭裁判所の調停委員の人に骨を折ってもらって、西日本では初めての少年友の会を作ったりしました。
また、東京家庭裁判所に5年間いたときには、少年友の会の主宰するバザーや文化祭など、三淵さんが苦労して育てて来た諸活動が活発に行われていることに驚嘆しました。