【執筆:黒澤隼】
目次
1. 原状回復義務とは
賃貸借契約の終了時には借主に原状回復義務が生じますが、民法621条は、賃借人に生じる原状回復義務について、通常損耗及び経年劣化並びに賃借人に帰責事由のない損傷を除く旨規定しています。
2. ガイドライン
建物賃貸借契約の終了時には、原状回復義務の有無や程度についてトラブルが生じやすいことから、トラブル解決の指針として国土交通省によりガイドラインが定められています
参考:国土交通省HP「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」について
(https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000020.html)。
引用:国土交通省住宅局平成23年8月「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」9頁
ガイドラインは、賃貸借契約の終了後の修繕において、
グレードアップとなる部分=賃貸人負担部分
経年変化・通常損耗となる部分=賃料に含まれる部分として賃貸人負担部分
善管注意義務違反・故意・過失による損耗=賃借人負担部分
として、原状回復をめぐる負担部分の考え方を明示しています。
賃貸人として原状回復費用を請求する際に注意すべき点は、賃借人の負担単位および経過年数が考慮されるという点です。
例えば、賃借人の善管注意義務違反・故意・過失によるフローリングの修繕費用については、原則㎡単位とされ、毀損等が複数個所の場合に限り居室全体の修繕費用を請求することができることとなります。
また、賃借人の室内での喫煙等によりクロスに変色や臭いの付着がある場合、負担単位としては居室全体のクロスの張替費用は賃借人負担となるものの、経過年数の考慮により、6年でクロスの残存価値が1円となるような負担割合が算定されることとなるため、当該クロスの張替から6年以上が経過している場合には、賃借人に請求することができる費用はほとんどゼロに近いといってよいでしょう。
上記ガイドライン22~24頁では、この他の例も挙げられています。
3. 特約とその効力
(1)賃借人に特別の負担を課す特約について
もっとも、契約自由の原則により、公序良俗(民法90条)や消費者契約法などの強行法規に反しないものであれば、特約により一般的な原状回復義務を超えた一定の修繕等の義務を負わせることも可能です。
ここで注意すべき点は、このような特約は賃借人に法律上、社会通念上の義務とは別個の新たな義務を課すこととなるため、次の要件を満たさなければ、効力が認められないことがあるということです。
例えば、通常損耗について賃借人に原状回復義務を負わせる場合は、賃借人に予期しない特別の負担を課すこととなるため、少なくとも賃借人が負担することとなる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると判断されています。(最二判平成17年12月16日)
ガイドラインは、特約の有効性が争点となった判例等から、賃借人に特別の負担を課す特約の要件をまとめ、紹介しています。
引用:国土交通省住宅局平成23年8月「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」7頁
(2)特約を設ける際の注意点
では、先述した要件の①~③がいかなる場合に問題となり、いかなる判断がされているのでしょうか。
①特約の必要性、客観的・合理的理由
例えば、家賃を周辺相場に比較して明らかに安価に設定する代わりに、通常損耗により生じる修補費用を賃借人が負担するなど、賃借人に費用を負担させることが暴利的でないといえばければなりません。
「所定の修理、取替えに要する費用は借主負担」という特約を定めた事例では、特約は無効とはされなかったものの、賃料、更新料、敷金・礼金が多額であったため、借主の負担する修理義務の範囲は通常損耗を超えた故意又は重過失に基づく修理を意味すると限定的に解釈されました(ガイドライン掲載事例8)。
②賃借人の認識と③賃借人の意思表示
例えば、重要事項説明書の記載など賃貸人が賃借人に対して通常とは異なる原状回復費用を負担することとなる説明をしたこと、賃借人がそれに合意したことの証拠が必要となります。
当初の賃貸借契約書・重要事項説明書には賃借人に特別の負担を課す特約がなく、後の更新時に特約が追加されたものの、更新時にその説明がされていなかったこと等を理由に特約の効力が否定された事例があります(同・事例12)。
また、退去時のクリーニング費用の負担を賃借人とすることはよく行われていることですが、クリーニング費用についてもきちんと賃借人に説明し、賃借人がそれについて合意することにより特約が有効に成立していなければ、賃借人の通常損耗を超える汚損がある場合を除き、賃借人に費用を負担させることはできません(同・事例13)。
(3)敷引特約が無効となった事例
このように、民法が定め、原状回復ガイドラインが示す通常の原状回復の範囲を変更することには大きなハードルがあります。
そこで、事業者・賃貸人としては、敷引特約付きの敷金により実質的に通常損耗分について賃借人負担とすることが考えられますが、その場合に注意すべき点は、公序良俗(民法90条)や消費者契約法など強行法規に反しないかということです。
月額賃料7万8000円の事例で、敷金25万円全額につき敷引特約を定めたケースについては、消費者契約法10条により敷引特約は無効とされています(同・事例23)。
また、月額賃料13万5000円の事例で、敷金80万円のうち50万円につき敷引特約を定めたケースについても、消費者契約法10条により無効とされたものがあります(同・事例25)。この事例では、敷金に対する敷引金の占める割合(約62.5%)、敷引金と毎月の賃料との差額(約3.7倍)、賃貸借契約期間の長短・契約終了事由・損害の有無が敷引きの条件となっているかが考慮されており、敷引特約を付す際に参考となる事例です。
原状回復費用の請求にあたっては、民法の定めおよびガイドラインが示す負担部分・割合の確認と、当該賃貸借契約においてこれらと異なる特約を付した場合にはその特約の効力に問題がないかを確認する必要があります。
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