運転者不明のバイク事故

私が、ある地検で、交通事故の決裁官をしていたときに、次のような事件にかかわることがありました。それは、既に検察で嫌疑不十分で不起訴にした事件でしたが、事故の被害者から、検察審査会に不服申し立てがなされたことから、私が決裁官のときに再捜査及び処理の見直しの要否を検討することになった事件です。

 

その事故というのは、16歳の高校生2名が飲酒の上、深夜、原付に2人乗りし、交通閑散な幹線道路を走行中、酩酊運転のため蛇行運転し、道路脇のガードレールに衝突して、転倒し、そのうちの1人(以下、被害者といいます)が頭部を強打し、高次脳機能障害の重傷を負い、生涯残る障害を負ったという事故です。もう1人(以下「被告人」といいます)は軽傷に終わったのですが、臨場した警察官に対しては、被害者が運転していたと言っていました。被害者は意識が回復しても事故のため事故時の記憶がなく、これを否定することはできない状況でした。警察は当初、被告人の供述から被害者が運転者という線で捜査をしたようですが、その供述に不自然なところがあった(運転者である被害者は、原付がガードレールにぶつかった付近で転倒したが、バイクと後部座席に乗っていた自分は(運転者がいない)原付に乗った状態で10数メートル前方に進行した地点で転倒し、自分は軽傷で済んだというもので、極めて想定しづらい状況を述べていました。なお、被告人は原付免許を持っていましたが、被害者は持っていませんでした)ために慎重な捜査を行い、送致するまでに時間を要しました。最終的には、事件後2年11か月を経て、警察は、被告人が自己の運転を否認しているにもかかわらず、被告人を業務上過失傷害と道路交通法違反(酒気帯び運転)で送検してきました。しかしながら、検察官は送致後ほとんど捜査を行わず、送致後10日もしないで、酒気帯び運転事件が時効になる直前、両事実とも被告人の運転者性に疑問があるとして嫌疑不十分で不起訴としました。

 

起訴し、有罪を得る

その後、被害者は、高校は卒業したものの、後遺症のために定職に就くことができず、お母さんと2人で苦しい生活を強いられていましたが、苦労して引き受けてもらえる弁護士さんを探し当て、その協力を得てようやく、被告人及びその保護者に対して、被告人が運転者であった旨の主張をして損害賠償請求訴訟を提起しました。しかし、民事訴訟も、検察官が被告人の運転者性に疑問を抱き嫌疑不十分として不起訴にしていたことから苦しい戦いであったようです。そのような中、被害者は、代理人の弁護士を通じ、事故から約4年半後、時効にかかっていない業務上過失傷害事件について、検察審査会に不服の申立てを行ったのです。検察審査会は、被害者等が検察官の不起訴処分について不服を申し立て、その適否等を一般国民からくじで選ばれた検察審査員11名が審査する組織です。検察審査会に申立てが行われると、不起訴処分を行った検察庁に対して不服申立てがなされたことが連絡されます。それは、申立てを機に、検察庁において、処分の見直しをする機会を与えるためです。そこで、本件についても同会から、検察庁に対してその旨の連絡があり、当時決裁官をしていた私が同事件のことを知ることになったのです。そして、改めて、当初の処分の適否や起訴すべきか否か、再捜査の要否等を判断することになったのですが、当初の処分には問題があると考えられました。事故を起こした原付バイクの運転者が被害者であることは考え難く、被告人だと考えられました。そして、被害者に記憶がないことをよいことに被告人は責任逃れをしているのだということも判断ができました。そして、そのことについて憤りを感じました。もちろん、人間は弱い者ですから、言い逃れが効くと考えれば、重い責任から免れたいためにそのような態度をとることもあるので、行動自体は理解できます。また、高校生であれば尚更です(退学処分も言い渡されます)。しかしなから、生涯残る障害を負いつつ、真実を明らかにすることもできない状況で生きてゆかねばならない被害者とそのお母さんの境遇に思いをはせたとき、許してはならないことだと考えました。

このままにしておくことはできない、それでは、検察官の責任放棄であり、何とかして再起し、起訴すべきであると考えました。しかしながら、起訴して確実に有罪になるか否かは、個人的な心証とは別問題ですからから、有能な検察官を主任に指名し、改めて証拠を綿密に再検討し、鑑定等についても改めて検討し直し、見分も改めて詳細に行って再捜査を遂げました。その結果、公判においても被告人が犯人であることの立証は十分に可能と判断できたことから、被告人を業務上過失傷害罪で公判請求したのです。それは、検察審査会への申し立てから4か月後、業務上過失傷害事件が時効になる日の実に8日前であり、被告人も被害者も、既に21歳になっていました。

幸いに、公判は第一審も第二審も有罪になりましたし、被告人は上告しましたが上告も棄却され、有罪が確定しました(最判平成25年6月18日刑集67巻5号653頁判例タイムズ1397号74頁等)。真実をうやむやのうちに葬られることを防ぎ、また、真実を明らかにできないことで辛い思いをしてきた被害者とそのお母さんのそれまでの苦痛を少しでも和らげることができたと思うと、ほっとした気持ちになりました。

依頼者の力になりたい

交通事故の中でこのような複雑な経過をたどった事例はそう多くはないと思われますが、交通事故の被害者の中には、不起訴になって悔しい思いをしている人も少なくないのではないかと推測されます。私は、決裁官としてかなり積極的な処理方針をもって臨んできたのですが、中には、主任検察官が消極的な処理をしようとするので困ったこともあります。もちろん、多くの検察官は正義感をもって積極的に処理しようとしてくれるのですが、そうでない人(正義感は持っていても処理においては積極的でない人)もいたことを考えますと、全国には、起訴すれば刑事責任を問えるにもかかわらず、それが問われていない者も少なくないと思われます。交通事件事故に精通した検察官や決裁官もいますが、そうでない人たちもいます。世間で騒がれる大きな死亡事故では、検察も人員と人材を投入し、精力を注ぐのでそれ相応の成果を上げていますが、日常生活で起きる事故については、そこまでしないこともあり、刑事責任を負わなければならない人がこれを免れ、その陰で被害者が泣いていることもあると思われます。

しかしながら、そういう場合、検察を批判するだけで始まりません。彼らにも自信がないのです、有罪にできるかどうかについて。正義感は十分に持っている人たちですから、有罪にし得るという判断がつけば彼らも起訴をするのです。したがって、その点について検察官に的確にアドバイスすることも必要になってきます。また、捜査に協力して、進展を図る必要もあるでしょう。そうすることによって、刑事で責任を問い、そのことを通じ、併せて民事においても遺漏のない損害補てんを得られることにつながるのだろうと思います。

私は、交通事故捜査について、それなりに研鑽し、上記姿勢で事件処理にあたってきたという実績がありますし、過失の本質論を描きえた書籍も刊行しており、警察官や検察官に対して、それ相応のアドバイス(交通事故における刑事過失の捉え方その他捜査の在り方、事案の解明の在り方等について的確なアドバイス)を行うことができる者という自負があります(もちろん、過失責任を問えない場合の限界も十分にわきまえています。闇雲に起訴してきたわけではありません)。

交通事故による被害について、相手が責任を否定しているため真実が明らかにされておらず、その損害の回復について不当な立場に追いやられている(その可能性がある)方々の力になりたいと考えています。

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