2021.11.19

固定残業代のリスク

弁護士 加藤 翔一郎
 

1. はじめに

一定時間分の残業代について、会社側が、“職務手当“などの名目で「固定残業代」を支給する手法は広く用いられています。
しかし、この「固定残業代」、会社側にとってリスクが非常に大きい手法であることはご存じでしょうか。
今回は「固定残業代」として支給された“職務手当”が、残業代の支払いとして認められるかが問題となり、最高裁まで争われ、先例となる判断基準が示された日本ケミカル事件(最判H30.7.19)を紹介します。

2. 固定残業代とは

そもそも「固定残業代」とは、どのようなものを指すのでしょうか。
「固定残業代」とは、その名称にかかわらず、一定時間分の時間外労働、休日労働および深夜労働に対して定額で支払われる割増賃金のことをいいます。
固定残業代制度は、使用者にとっては、残業時間の管理を甘くしやすい、労働者を採用する際に“○○手当”として提示する額面額を大きくできるので労働者誘引に役立つ、という事実上のメリットがあります。
一方、労働者にとっては、実際の残業時間がみなし残業時間に達していなくても満額受けとれることのほか、労働者が 『“〇×手当”は残業代でない』と争って裁判所がその主張を認めた場合、使用者が「固定残業代」として払っていたものは基本賃金ということになり、あらためて固定残業時間分の残業代を請求できるメリットがあります。
とりわけ後者の「固定残業代」として払っていた“○×手当”が裁判所に残業代等の支払いであると認められなかった場合(=固定残業代該当性が否定された場合)、会社に請求できる未払い残業代の総額が大きくなることから、固定残業代は争点化しやすい賃金制度といえます。

3. 日本ケミカル事件の争点

本件は、A社(会社)に雇用され、薬剤師として勤務していた労働者Bさんが、A社に対し、未払い残業代等の支払を求めて提訴した事件です。
A社は、Bさんに対し、A社とBさんの雇用契約に基づき、基本給とは別に、月額101,000円の“業務手当”を支払っていたところ、この業務手当がいわゆる「固定残業代」に当たるか、業務手当の支払により残業代等に対する賃金が支払われたといえるか否かが争いとなりました。

4. 日本ケミカル事件における最高裁の判断

最高裁は、「労働者に支払われる基本給や諸手当にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法自体が直ちに同条に反するものではな」いと指摘し、固定残業代制が適法であることを確認しました。
その上で、①固定残業代が基本給と明確に区分される形(○×手当など)で支払われ、かつ、②その「手当が時間外労働等に対する対価として支払われる」といえる場合には、残業代等割増賃金の支払いと認められると判断しました。
このうち、②「手当が時間外労働等に対する対価」と認められるかどうかの判断要素としては、「雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである」と判示しました。
 
本件では、雇用契約書や採用条件確認書、A社の賃金規定において“業務手当”が残業代等の時間外労働の対価として支払われることが明記してあったこと、A社の他の社員も“業務手当”が固定残業代として支払われていたこと、Bが固定残業代として支給された業務手当は約28時間分の残業代に相当するところBの実際の残業時間と大きく乖離していないことから、Bに支払われた“業務手当”はBの時間外労働に対する対価といえ、A社の“業務手当“が「固定残業代」であると認められました。

5. 固定残業代該当性判断の経過

(1)最高裁は、使用者(会社側)が払っていた“○×手当”が固定残業代に該当するかの判断する要件として、①「明確区分性」(判別性要件)を要求してきました。
すなわち、使用者が労働者に対し、時間外労働等の対価として労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと判断するには、労働契約における賃金の定めにつき、それが通常の労働時間の賃金にあたる部分と、労働基準法37条の定める割増賃金に当たる部分とに判別できることが必要であると判示してきました(最判H29.2.28〔国際自動車事件〕等)。
これは、それまで固定残業代に該当するかの判断が争われたのは、(タクシー業界等でよくみられる)売上高に対して一定の歩合を乗じるといった歩合給などの、基本給と割増賃金が混在している給与体系(混在型)で問題になることが多かったためです。一方、本件では、職務手当として基本給とは明確に区別して支払われており(固定手当型)、①明確区分性は問題となっていません。
 
(2)日本ケミカル事件判決は、上記①明確区分性に加えて、②対価性の要件を満たせば、固定残業代該当性が認められることを示した点に大きな意義があります。
②対価性とは、雇用契約に基づいて支払われる手当が時間外労働等に対する対価として支払われたことをいいます。
①明確区分性、②対価性を満たした場合に固定残業代として認められるとする判断基準は、日本ケミカル事件後の最高裁判決(国際自動車事件(最判R2.3.30))でも指摘されており、本判決により固定残業代該当性の判断基準として確立したものといえます。
 
(3)その上で、本判決は、②対価性の要件を満たすかは、契約の内容によって定まり、その他に何らの独立の要件を必要とするものではないことを明らかにしました。契約の内容がどのようなものであるかは、契約書等の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況等の事情を考慮して総合的に判断すべきとしています。
これは、最高裁調査官の解説によれば、ある手当について固定残業代とする旨の合意が認められるかの判断を、契約一般において契約内容を解釈する場合と同様に、契約書等の記載内容に加え、締結時やその前後の当事者の言動等を総合考慮する一般的な事実認定の手法を用いて判断するということです。
 
(4)なお、仮に本件において、使用者が労働者に対して「業務手当を○時間分のみなし残業代として支払うことを説明していた事実」を認定していた場合、契約内容の解釈をするまでもなく、②対価性の要件を満たすことになります。

6. 会社側が固定残業代で注意すべき点

会社が支給する“〇×手当”が、基本給と明確に区別され(①明確区分性)、時間外労働等に対する対価として支払われれば(②対価性)、裁判所が当該手当を固定残業代として認めるようになったことから、会社側としては固定残業代制を採りやすくなったと勘違いされがちです。
現に、日本ケミカル事件判決を受けて、固定残業代制を会社に勧めるようになった隣接士業の先生がいるという話を耳にします。
しかしながら、裁判の実情として、未だ固定残業代該当性は労働者側からは必ずといってよいほど争われます。また、固定残業代該当性の判断基準である①明確区分性②対価性の2要件も、裁判官が証拠からどういった事実を認定するかで成否が分かれることになります。
そうなると、日本ケミカル事件判決のあとも、固定残業代制は会社側にとって裁判リスクの大きい賃金制度といえます。
また、平成31年4月1日から施行された改正労働安全衛生法により、会社側は客観的な方法により労働者の労働時間の状況を把握する義務を負うこととなりました(改正安衛法第66条の8の3)。
 
固定残業代制は、労働者の労働時間管理をややルーズに行えるということが会社にとってメリットでしたが、このように労働時間の把握が義務化され、このようなメリットはなくなったといえます。
そうすると、固定残業代制を採ること自体、会社側にとって裁判リスクが大きい反面、旨みはほとんど無いことになります。
固定残業代制を採っている会社や、これから固定残業代を賃金制度として採用しようとしている会社は、このようなリスクばかり大きい実情を理解した上で、本当に固定残業代制を採る必要があるのかよく検討すべきでしょう。

※この記事は公開日時点の法律をもとに執筆しています

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