2023.01.06

阿武町誤振込金引出事件の刑事責任

弁護士 菅原 胞治
 
令和4年4月山口県阿武町で起こった新型コロナウイルス臨時特別給付金誤振込事件は、受取人が誤振込金返還を拒否し、オンラインカジノサービス決済代行業者等への振込に使ってしまったため、一時世間の耳目を集めました。その後、同年5月に受取人は阿武町と全額返還で和解したため、民事的には解決されました。

しかし、その直前に受取人は電子計算機使用詐欺罪(刑法246条の2)で逮捕され、6月起訴、同年10月に初公判が開かれました。この事件については、最高裁が振込の依頼人と受取人の間に何ら原因関係のない誤振込の場合でも受取人の預金は成立するとした有名な判例(平成8・4・26判決。以下「平成8年最判」)があることから、受取人は自分の預金を引き出しただけであり無罪とすべきだと強く主張する見解もありますが、この最高裁判例から無罪説が当然といえるのか。今回はこの問題について考えてみたいと思います。
 

1. もう一つの最高裁判例

実は、この誤振込金引出の刑事責任について参考となるものとしてもうひとつの判例があります(最高裁平成15年3月12日決定。以下「平成15年最決」)。これは、振込依頼人Xが誤って何ら支払いをなすべき原因関係のないYの口座に振り込みをしてしまったのですが、それを知ったYが自己の借金返済のためその誤振込金を含めて窓口で現金払戻しを受けたところ、銀行に対する詐欺罪として起訴された事件で、1・2審とも有罪、最高裁も上告棄却として有罪が確定した有名な事例です。これからすれば、一方は銀行窓口での現金引出の事案、他方はネット取引による振込引出の事案の違いはあっても、銀行システムを悪用した詐欺的犯行として、有罪とするのは当然と思われます。

2. 無罪説の論理

しかし、なぜそれでも無罪説が声高に主張されるのか。そこには、振込預金の成立に当事者間の原因関係は不要とした平成8年最判との整合性に疑問を感じているのと、平成15年最決が銀行の誤振込の組戻し実務を持ち出して有罪としたことへの違和感があるからではないかと思われます。

この平成15年最決は、銀行実務上、誤振込には組戻し制度があり、信義則上、誤振込の受取人には誤振込の告知義務がありそれは社会生活上の条理上も当然だとして、その告知をせず誤振込金を払い戻す行為は銀行に対する詐欺に該当するとしました。

これに対し、反対の無罪説論者は、平成8年最判を絶対視し、振込取引に依頼人・受取人間の原因関係は不要(むしろ無用)であるから銀行実務の組戻し制度など有罪の根拠にはなり得ないと考えているのです。その結果、銀行は誤振込金の払出しを妨げてはならないし、その後に不当利得返還を認めれば足りる(海外送金や逃亡、破産等により回収不能になっても、誤振込人のほうが悪いのだから、たまたま入金された受取人を非難するのは筋違いだ)というのです。

こうした論理は一見もっともらしい見解として、ネット上や雑誌などで今でもよく見られます。

3. 私見

私見では、平成15年最決が銀行実務の組戻し制度に着目したことには極めて重要な意味があると思います。というのは、振込取引を依頼人・受取人間の原因関係とは全く無関係の取引と見る見解(無因説、資金移動説など)では、誤振込など依頼人・受取人間の原因関係上のトラブルは本来、振込システムとは無関係で、その外で解決すべき問題に過ぎないと考えるからです。これに対し、振込取引を依頼人・受取人間の原因関係を決済するための取引と見る立場(原因関係必要説、決済取引説など)では、原因関係を直ちには知りえない銀行を免責する必要はあっても誤振込の受取人に無原因の権利を認める必要はなく、不当利得の発生を極力防止するための「組戻し制度」は、正常なシステム運営上、必須・不可欠の重要な制度と言えるからです。

振込取引における依頼人・受取人間の原因関係を無視することは、振込システムをマネーロンダリング悪用の温床にしかねないものであって、極めて問題があると思います。

以上から、平成15年最決の先例こそより理論的意味を深化させるべき重要判例と考えられるので(これに対し、平成8年最判は客観的事実関係を直ちに知り得なかった銀行をその限度で免責する論理として理解されるべきで、悪意の受取人まで保護するのは有害無益です)、今回の阿武町事件については、有罪とするのが正しいように思います。

以上

(追記)
令和5年2月28日、山口地方裁判所は、本件誤振込の受取人に対し、誤入金と知りつつ振込金を他に振り替えた行為は正当な権利行使と言えないとして、電子計算機使用詐欺罪の成立を認めつつ、被害額が全部補填されたことも考慮し、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡しました(被告人は即日控訴)。

 
 
※この記事は公開日時点の法律をもとに執筆しています

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