所属 |
神奈川弁護士会 |
出身 |
神奈川県 |
趣味 |
低山を含めてやたら歩くこと |
学歴 |
東京大学法学部 |
メッセージ
これまで
私の履歴は後に記すとおりです。裁判官としての生活が人生の半分、ふつう裁判所といわれてイメージする分野はだいたい経験しました。その後は7年ほど公証人の業務に就きました。人生の後半は夫婦、親子、相続を含む家事関係や賃貸借、金銭貸借、それから隣近所のトラブルを含めて日々の暮らしに関わる法律関係に幅広く携わってきたことになります。振り返れば、すべったり転んだりもあり、ときに厳しい指導も受けながら、先輩、知友の暖かい励ましと支えを受けて、少しずつ知識と経験を積み、今日に至る、長い経過です。
ファイトとユーモア
ある時代の刑事訴訟法の碩学(せきがく)が、実務に就こうとする若い人々に向けた言葉「ファイトとユーモア」が印象に残っております。教科書の栞(しおり)に書かれたものです。困難な課題に取り組むときに忘れてはならない心構え、というだけのことですが、爆走の苦手な人が、仕事に疲れた折など、口に出して言ってみると、その都度、とても滋味深く感じられるのではないでしょうか。もちろん、ファイトとユーモアは同時進行です。言葉の意味をしっかりと腹に収め、汗をかいていればよかったのに。
遅々として進む
職業柄、弁護士に向かって、何でもかでも「まだですか」とくり返すのが日課でした。ある日、再々の苦情に辟易した弁護士が「はあ、目下遅々として進んでおります」と答えたと思ってください。え?「遅々として進まずじゃないのか」、あれ!「孜孜(しし)として進む」の間違いか?どちらでもなく多分わかっていてそう言ったのでしょう。審理促進は、理(ことわり、ものごとの道理)を審(つまびらか、あきらか)にする作業をドンドン進める、と読むものでしょうから、なかなか両立しません。「督促するだけなら楽だよなあ」と考える弁護士からすれば、裁判官に嫌みのひとつでもいってやりたいところでしょう。そこを巧くかわして出たのが「遅々として進む」だったと思います。ファイトを隠したユーモアとも言えるでしょう。その後この言葉は何度も思い返されて、叱咤されたり慰められたり。
抱負など
人生到るところに師匠あり、と心得ております。このたび、神奈川県海老名市において、はからずも未経験の領域で仕事をする機会を与えられ、若い方々に混じって、あれこれと思案することができるのは、なによりも幸いなことです。ゆるキャラではありますが、ファイトとユーモアを目指し、遅々として進んできた私には、地面に近い目線で、そして、これまで受けた暖かい励ましと支えを、形を変えて、実行していきたいという希望があります。思わぬ困難に出会い、それでも弁護士など敷居が高くて、と思っておられる方々にも、是非お出でいただき、相談の相手としてご指名いただければ幸甚です。
取扱業務分野
経歴
昭和45年6月 |
東京大学法学部卒業 |
昭和48年4月 |
岡山地方裁判所判事補 |
昭和51年4月 |
東京家庭裁判所判事補 |
昭和52年4月 |
東京地方裁判所判事補 |
昭和54年4月 |
旭川地方裁判所判事補 |
昭和57年4月 |
横浜地方裁判所交通集中部判事補 |
昭和58年4月 |
横浜地方裁判所交通集中部判事 |
昭和60年4月 |
徳島地方裁判所判事 |
平成元年4月 |
静岡家庭・地方裁判所判事(沼津支部) |
平成5年4月 |
東京高等裁判所判事 |
平成8年4月 |
静岡地方裁判所民事部部総括判事 |
平成12年4月 |
東京地方裁判所八王子支部民事部部総括判事 |
平成16年4月 |
前橋地方裁判所民事部部総括判事 |
平成17年9月 |
さいたま地方裁判所判事川越支部長 |
平成18年10月 |
福島家庭裁判所長 |
平成20年10月 |
退官 |
平成20年11月 |
横浜地方法務局所属公証人 |
平成28年7月 |
依願免 |
平成28年 |
秋瑞宝中綬章叙勲 |